コロナ時代を生きる、「足るを知る」な日常
人の顔は千差万別です。
しかし、基本的には、目は横に、鼻は縦についています。当たり前のものが、当たり前の場所に当たり前のようにある。目の上に口がついていたりはしません。
人は当たり前のように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す呼吸を誰に指図されずとも、生まれた直後から始めています。
この様な揺るぎない動かしがたい事実、それに気づくことを「悟り」と呼ぶそうです。
しかし、自我や執着にとらわれるとなかなかこれに気付くことが出来ません。
当たり前の事がどんなに有り難いことか、身をもってこのコロナ禍において私達は知らしめられました。
足し算より引き算
「もっと幸せになりたい。」「今の生活を変えて、もっと良い人生を送って行きたい。」とお思いの方は少なくないでしょう。
勿論、私もその一人です。
そんな時「もっと〇〇すればよくなる」「新しい○○があれば幸せになれる」と、今とは違う物や考え方、ライフスタイルを手に入れれば今よりも幸福になれると思う傾向がありますが、禅の考えでは新しい何かを得るのではなく、不要なものを手放し捨てていくことこそが幸せへの道だと述べられております。
足るを知ろう
人の欲望にはキリがありません。欲しいものを手に入れてもまだ満足できず、また次の物が欲しくなり「絶対に手に入れるんだ」という執着心が生まれます。
終わりのないこの、「欲望のスパイラル」「執着のスパイラル」に陥ると、なかなか出る事が出来ません。
全く使っていない物や一度も袖を通していない服が家にあるのはなぜでしょう?それは本当に必要ではないのに見栄や体裁や「欲しい」という欲だけで買い、ただ「持っている」という事だけに満足しているからではないでしょうか?
勿論、生きていくためにはある程度の欲は必要ですが、「足るを知る」即ち、適量をわきまえることが大切です。
ブッダは亡くなる前に「小欲の人は苦労が少ない、多欲の人は苦労もまた多い」と説かれております。
つまり、足ることを知っている人間は現状で安楽を味わえるが、欲の多い人は例え良い暮らしができたとしても満足することが出来ない・・・
まさに悟りの境地ではありませんでしょうか。
Don’t think , take a deep breath
禅の考えでは「頭にものを上げてはいけない」と言います。頭で考えると「本来の自己」とつながる事が難しくなるからです。
たとえば、言い争いになって頭に血がのぼると、つい普段は言わないような過激な言葉を発して、相手を傷つけてしまうことがあります。
それは腹や心ではなく「頭」で反応しているからです。
カッとすることがあるとすぐに反応するのではなく、ひと呼吸おき普段の冷静な自分を取り戻しましょう。
コロナ時代だからこそ、大切なのは寛容と協調なのではありませんでしょうか。
そして、衝動買いをしたくなったら、まずは深呼吸。
「待てよ?」とひと呼吸おきましょう。
買おうとしいている物が本当に必要かどうか?冷静に見極める判断力が高まります。
無駄な物を買って、失敗することが少なくなるようです(私も既に経験済みです)。
シンプルに削ぎ落す
執着やこだわりを手放す、欲や見栄から自由になる、無駄な物を捨てる、汚れやほこりをきれいに取り去る。
もう自分に必要のないものを手放し、住まいだけでなく心も掃除していく。
すると、厚い雲に覆われて見えなかった、ひとかけらの曇りもない「本来の自己」が浮かび上がり、不要なものを全て捨て去りシンプルな状態になった時、見失っていた自分を取り戻すことができるとの事。
最近、そんな理想に近づくように、日々を送っております。
参考文献 片づける禅の作法 枡野俊明 著